家族旅行のこと、父のこと

  年に2.3回、家族旅行をしていた我が家。しかし、僕はその殆どを覚えていない。勿論、小学生までのことで時間が経っているからってのは大前提なのだが、今回の本題はその旅行の内容についてである。


 父は生粋の鉄道オタクである。


  本人に言わせると“鉄ちゃん”である。それにより、家族旅行と鉄道はニコイチであった。というか、鉄道(新しい電車だの線路だの、廃線だの)のついでに、家族旅行(近くの遊園地や、美術館)をする。


 なので、勿論のことだが、移動手段は全て鉄道。それもなんか、異様に拘る。同じ行き先でも、なんか乗りたい車両?(この時間に乗れば、ここであの電車とすれ違う。みたいな?)があって、すごく長い時間ホームで待たされた。ディズニーとか、USJでの待ち時間なんて僕たち兄弟にとっては何でもないくらい、ひたすら電車を待った。


 待ちに待った電車が来たところで、乗った後はまた、到着までただ待つだけだ。父は1番前の車両、運転手目線でビデオカメラを回すのに必死であった。僕にとっての父の背中とは、まさにそれである。マジでずっと撮ってたなぁ。


 そして着いたと思ったら、また乗り換え。今どの辺にいて、あとどれくらいで着くのか、全く見当もつかない。どこへ、何のために向かっているのかも分からない。それは、子供ながらにめちゃくちゃにストレスであったし、大人なら普通にキレると思う。その分、遊園地やホテルに着いた時の喜びはマジで物凄いものがあった。


 旅行は父自作の予定表によって厳しく管理されていた。そのため、食事はすぐに提供されるチェーン店かコンビニ。普段、田舎であるが故に外食は滅多にしない我が家にとっては、チェーン店は極めて珍しく、それはそれで満足だった。が、母はそれに本気でピキっていた。


 そんな鉄道メインの旅行も、来るところまで来て、最終的に在来線のみで秋田まで往復するという旅を敢行するに至った。本州をほぼ一周。期間は一週間くらいかかって、その間学校を休んだ気がする。秋田まで行って、帰ってくるだけ。途中下車などありはしない。ずーっと電車内。寝台特急だから、寝るのも電車。目的地の秋田にも、ほぼいなかったと思う。揺れる電車の中で、兄と一緒に永遠に完成しないトランプタワーを作っていたことだけは何故かしら鮮明に覚えている。


 大学生になって、旅行をコーディネートしてくれる会社なんてものがあることに衝撃を受けた。『旅行って、楽しいんだ!』と初めて気がついた。我が親には本当に言いづらいのだが、僕にとって旅行とは、基本的にただ移動するだけの苦行だった。遊園地とか、旅館は楽しかったが、それらをプラスしたとしても、トータルで言えば大幅にマイナス。


 父にとっては、この上なく楽しい旅行だったことだろうし、それを本気で息子たちも楽しんでいると思っていたのだろう。はたまた我儘で、落ち着きのない僕だけがそれを楽しめなかっただけなのかもしれない。いずれにせよ、なんかちょっと切ないよね。 


 そんな父はコロナ禍に入る前、長年の苦労の末、全国の鉄道全てに乗った。【鉄道全線乗破】と呼び、鉄ちゃんの世界では『一般社会で言うところの、甲子園出場レベル』らしいが、それを嬉々として語る食卓において、特に誰も反応することはなかった。『鉄道関連の話は基本的に無視する』というのが我が家の不文律なのである。それでも楽しそうに喋っているから、まぁなんか独自のバランスで成立しているのだと思う。少なくとも、母はそんな父を多分すごく可愛く思っているように感じる。そんな感じで、どうすかね、良い話っぽくまとまった空気感であれば幸甚です。



人気の投稿