富美山バスケ部物語 大学編#2 -basket the international-

 大学のバスケ部であったことを思い返してみた。練習して、試合。冬は鍋したり、季節を問わずジャンチキを食べ、時間を問わずカラオケとかダーツも。それはもう、沢山したなぁ。部員同士でたまにギスギスしたりってのも今となっては良い思い出。つまりは、まさに大学生らしく、はちゃめちゃにエンジョイした。

 

 変わったことを強いて言えば、留学生がいたことだろう。山口県立大学はインターナショナルな大学である。学生数に対する留学生の割合は国内トップレベル(らしい)。そんなこともあって、何人かの留学生と一緒にバスケをした。特に思い出深いのが下記の2人。


田(でん)くん

 中国からの留学生で、身長は190超え。色白で優しい顔つき。

ウェイトこそ無いものの、その身長でポジションはガードだったってんだから、中国ってやっぱすげぇんだな、と思った。

 留学生の中では最もがっつり一緒にバスケをして、公式戦に出場したのは彼のみ。でも、ユニフォームそのまま中国に持って帰ってしまったなぁ。


劉(りゅう)さん

 彼も確か中国からの留学生。割と年上だったと思う。当時、25歳くらいかな。彼もまた田くんと同様背が高く、さらにウェイトもあった。スキルがある方ではなかったが、フィジカルがもう半端なかった。暴走機関車って感じ。

 初っ端、土足で体育館に入ってきたことには度肝を抜かれた。彼の中では、体育館は土足で入るものだったのだろう。バスケを愛する何人かは、マジでキレた。これぞ、文化の違いってやつ。


 田くんも劉さんも、オフェンスには積極的に参加するも、ディフェンスとなると明からさまにサボるところがあった。サボるってか、普通にコートに座り込んでいた。当時、ネトウヨだった先輩のKさんはこれを、“中国という国家の姿勢そのものだな!”と言っていた。実は鋭い意見だったのかな、、。

 当時、Kさんはこの手のジョークを頻繁に言い放っては、他を困惑させていた。僕は結構(というか、とても)好きだった。お気に入りは、遅刻してきたKさんが『ごめんごめん。ちょっと慰安婦像をぶち壊してたわ。』だ。大したもんやでしかし。

 2人とも日本語はほぼ喋れなかった。それでも、シュートが決まればハイタッチしたり、負ければ悔しがったり、言語以上のコミュニケーションで繋がることが出来て、本当にスポーツって素晴らしいな、と思います、はい。


 あと、留学生では無いが学生支援?か、教務部?だかなんかで、尾崎さんという方も一緒に練習していた。僕は彼を”ザッケローニさん”と名付けた。“ザ”しか合ってないが、それでも語感の良さか定着し、そこからさらに“ザッケさん”へと発展した。

 ザッケさんは職務柄、部員の学績を把握していた。無論、Kさんの惨憺たる内容も把握しており、時々注意もしていたなぁ。Kさんはヘラヘラしていた。


 と、書いていたら結局Kさんの話が多くなってしまったな。

 SNSの類を一切しないKさんは、時々僕がこうやって書いていることを知る由もない。と、たかを括っていたら先日『僕のことネタにしてるだろ!』と怒られた。怒りながらも、笑って許してくれるKさん。感謝です。また遊びましょう。

 


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