富美山バスケ部物語 高校編 -地獄の練習。そして土下座-

  高校バスケは、中学のそれとは全く次元が違う。

 特に僕の中学時代といえば、たったの5人だった訳で。所謂チームプレイだとか、ろくに練習ができなかった。いや、しなかった、か。グラウンドで相撲をとったり、野球部と一緒にサッカーをしたり、テニス部と一緒にテニスをしていた。

 かと思えば、僕は毎朝6時半から、1人でバスケの練習をしていた。ただひたすらに、誰もいない学校で。その結果、それなりにバスケのスキルは上達。チーム内では勿論、断トツ(僕だけミニバスからやっていたので)。たまの対外試合、得点の大半は自分。かなり上手な部類に入っていた。僕は上手い。と、勘違いしていた。


 前述の通り、高校バスケは全く次元が違ったのだ。一矢報いることすら出来ない、圧倒的な実力差。決して強豪校では無いチーム内ですら、自分は下の下。同級生にも遠く及ばない。そして、あまりに過酷すぎる練習。内容について記すともう、キリがないのだがとにかく地獄。終わりの見えない苦行の道すがら、僕は逃げた。そう、練習中に、飛んだのだった。


 1年生の、9月くらいだったかな。我ながら堂々とした態度だった。ゆっくりと僕は、体育館を去った。コーチから『やる気がないなら帰れ!』と叱責された時、それまで積もり積もっていた何かが、僕の中で弾けた。ありふれた、あまりに頻出の説教文句ではあるが、当時の僕はそれに耐える事ができなかった。ゆとり世代って感じだよな。

 じゃ、帰ります。と、呟いて僕はシューズのまま外に出た。全てがどうでも良くなっていた。その足で、中学の友達と遊んだ。バスケの練習があるからと断っていた誘いだった。その日の空はなんか、高かったなぁ。



 いや、モテなくなんべ?これじゃ!!と、リアルガチに叫んだ。次の日の夜、心の中で。部活を途中で辞めても尚モテるのは、ごく一握りの選ばれたモノでなければならない。無論、自分はそれには該当しない。なんなら、キツくて逃げた訳だし、それはもうダサいにも程がある。

 僕は“バスケ部であること”のステータスを手放したことを酷く後悔した。ルックスも学力も乏しい僕には、それしかすがるものがなかった。断言するが、僕はバスケが好きではなかった。なんと浅はかで、性欲丸出しな事だろう。引退までキツい練習をする事と、“逃げた奴”として陰鬱な高校生活を送る事。性器を支点とした天稟は、前者へと傾いたのであった。

 

 そんでもう、コーチに土下座ね。沢山の生徒が往来する体育館の出入り口で。数多の視線を背中で感じながら『あ、自分、今ドラマの中にいるみたい〜』と、僕は自己陶酔。完全に気持ち良くなっていた。コーチは普通に引いていたと思う。『もう分かったから。練習、参加しろよ』そう言われた僕は『ありがとうございます!』と、めちゃくちゃ良い表情で返事した。チームの主力でもなんでもない、辞めても何の影響も無い奴が、1人でなんか盛り上がっていた訳で、コーチはさぞ困惑した事だろう。

 かくして僕はバスケ部に舞い戻った。良くも悪くもコーチに目をつけられるようになり、僕が辛そうにしていると、『お前また帰るんか?!』とよく叫ばれた。それと、多めにダッシュさせられたりとか、居残り練習だとかで、なんだかんだバスケは上達。気がつけば僕は副キャプテンになっていた。

 が、それでも結局、モテることは無かった。は?話が違うやん!!!


 次回、富美山バスケ部物語 高校編#2 -空前の遊戯王ブーム編-

 デュエルスタンバイ!


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