富美山バスケ部物語 中学編 -バスケ部消滅-

  厚東中学校バスケ部、廃部。

 廃校に伴わない廃部に、部員として立ち会うのは、一体どれくらいの確率なのだろう。ともかく、僕の所属していたバスケ部は、僕たちの引退によって消滅した。一年生の終わり頃、校長室に呼び出された僕たちに、校長先生から直々にバスケ部の廃部と、それに伴う下級生の入部受付終了が言い渡されたのだった。これは、その時の話である。

 

 僕も、チームメイトもひどく落胆した。そして、それ以上に腹が立った。なぜ、僕たちのバスケ部は廃部にならなければならないのか。正直、今思い出しても、ビビットに腹が立つ。


 原因は、一重に生徒の少なさゆえだと説明された。確かに、厚東中学校は生徒数が少ない。全校男子で40人くらいだ。当時、バスケ部/野球部/ソフトテニス部の3つがあり、その中でもバスケ部は10人くらいの最も小所帯であった。

 説明では、『野球部は、どんな中学にも絶対に必要』(まずこれが納得できない)というのと、『運動が得意でない生徒の為に、テニス部は必要』(これも納得できない)とのことだった。そして、今後さらに生徒数が少なくなっていくことから、消去法でバスケ部の廃部が決まったらしい。アホか!!!!


 校長室で、当時ちょっとだけヤンチャな雰囲気に憧れていた僕と洋一(部員であり、良き友。)は、これみよがしにふんぞり返った。洋一に至っては、完全に足を机の上に乗っけていた。ちなみに高校では、完全なるヤンキーと化した。いい奴なんやけどね。他の部員も勿論、怒り心頭ではあったものの、僕と洋一の極めて無礼な態度から、むしろ冷静になったらしい。


 僕たちは、駄々をこねた。それはもう、こね散らかした。決定事項であり、今更変わることのないことだと、みんな薄々分かっていたと思う。それでも、こねあげ続けたのはある種、『体制側(学校)に反発する自分たち』に陶酔していたのだ。だって僕たちは、面映い青春の横綱、中学二年生を目前としていたのだから。校長先生はたまったものじゃなかっただろう。すまんな。


 『野球は11人必要で、バスケは5人。人が少なくなるから、頭数を要する野球部の廃部が優先されるべきだ』だの、『ミニバスはあるのに、中学で辞めないといけないのはあんまりだ』だの『そもそも、廃部のメリットがわからない』だのを、とにかく言いまくった。校長先生の弁明には一切耳を貸さずに、だ。さぞ、参ったことだろう。

 あと僕は『テニスを舐めてるんですか?』とかなり語気を強めて言い放った。兄がテニスを必死に練習していたことを思うと、前述における体制側のテニス部に対する認識がどうしても許せなかった。が、バスケ部とは関係ないことだし、これもなんか、ただ噛みつきたかったのだ。 


 当時の僕たち(ともすれば今でも)には到底理解できない事由が、きっとあったのだろう。平行線のまま、その場は解散となった。無論、廃部の決定は何も変わらないまま。ただ、『ワイら、校長先生にあれだけ言うたったで!』といった、あまりに幼稚な満足感に浸っていた。しかし、ジワジワと違和感、不快感は残った。きっと誰しもが経験する、社会の一方的な不条理(それもきっと、誰も悪くない。)を多感な僕たちはモロに喰らってしまったのだった。


その後、、、

 試合中、怪我をしたらコートの隅に立って、実質4vs5で試合した。誰かが5ファールで退場すると、やはり4vs5で試合をした。サッカーじゃないのよ、バスケは。ただでさえ弱小の我々が、あろうことか4人で試合する珍妙な様は、奇しくもその場にいた多くのバスケ関係者の印象に残った。らしい。

 こうして僕たちは5人のまま、引退試合を終え、同時にバスケ部は廃部となった。試合後、敵味方問わず、惜しみなく贈られた拍手には、感情が無い僕でも流石に喰らったのだった。


次回『富美山バスケ部物語 高校編 -地獄の練習。そして土下座-』に続く。




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