富美山バスケ部物語 高校編#2 -遊戯王ブームとS先輩-

※本記事は遊戯王、および遊戯王カードを知っている前提で書いております。あしからず。


 遊戯王ブーム、到来。高校の3年間、どこかのタイミングで必ずそれは訪れる(自論)。高校はバトルシティと化し、とりわけ教員の目の行き届かない部室では日夜、デュエリスト達が鎬を削った。


 学校的なブームの最中、バスケ部は少しばかり特徴的なハマり方をしていた。その筆頭が、 S先輩だ。S先輩一家は工務店(ゼネコン)を経営している、典型的な小金持ち。しかしそれを鼻にかけることは無かった。男子高校生と言えば背伸びしてヴィトンだのポールスミスだのを身に着ける愚祖な生物であるが、S先輩は金があるにも関わらずポーターの財布を愛用していた(むしろブランド物を嫌っているようだった)。


 ただその財力をもってか、所有する遊戯王カードのラインナップは圧巻だった。あらゆるレアカードは勿論のこと、常に5つくらいデッキを持ってきていたかな?対戦相手によって自在にデッキを入れ替える様は、まさに“後出しの権利”。しかし悲しいかなS先輩の技量では、まるで勝利を挙げることが出来ず、とある先輩からは「デッキではなく“束”」と揶揄されていた。


 そんなS先輩はデュエルの際、海馬瀬戸になりきっていたのだった。普段は大人しく柔和な彼が、デュエルとなると声を張り上げて、対戦相手を『貴様』と呼ぶ。いちいち『手札より、〇〇を〜』と説明口調なのは序の口。先攻を決めるジャンケンをガン無視し、『恥を知れ!行くぞ俺のターン、ドロー!!』と言って勝手に始めていたし、自分の負けが確定すると『貴様のモンスターで、俺の首を掻っ切れ!!』と叫んでいた。これ、海馬瀬戸で合ってるのだろうか??あと、後輩のことは『木馬』と呼んでいた。これは海馬瀬戸か。

 ごくたまにカタコトの日本語を話す、ペガサスにもなっていた(トゥーンデッキを使用する際)。デュエル中にサイコロを振る際には、それがどちらであれ『運命のダイズスロー!!』と声を合わせて叫んだ。これはすごく気持ちがよかった。


 要するに、バスケ部では遊戯王カード自体では無くS先輩の世界観にハマっていたのだった。遊戯王カードを持っていなかった僕ですら、わざわざ中学の友達にデッキを借りてまでS先輩とのデュエルを楽しんだ。


 ある放課後のこと、何故か僕とS先輩は教室でデュエルしていた。勿論、場所がどこであろうとデュエルの時のS先輩は海馬瀬戸だ。『強いぞー!かっこいいぞー!!』だのと、大声を上げていた。

 そのタイミングが、悪かった。ガラリと開いたドアの前に立っていたのは、生徒指導の先生。曲がりなりにも進学校である小野田高校では、勿論遊戯王カードは持ち込み禁止。平素、大人しく真面目な生徒である僕とS先輩は、蛇に睨まれた蛙の如く、ただただ立ちすくむのみ。僕たちのデッキはその場で没収されてしまった。


 没収されたデッキは友達から借りていたもの。畜生、これは困ったことになった。正直に話して謝るしかないなぁ。ま、しょうがないか〜。と、半ば諦観している僕の隣、S先輩は凛とした態度でこう言った。


 『僕が、彼を無理に誘って遊んでいたんです。彼は悪く無い。だから彼の分は、返してもらえますか?』


 くぅ〜、カッケェ!この時ばかりはS先輩を手放しで尊敬した。その横顔は、海馬瀬戸に見えなくも無かった。予想外の反抗に、先生も面食らったようで、あっさりと僕にデッキを返してくれたのだった。

 勿論、S先輩のデッキが帰ってくることは無かった。それでもS先輩は『また買えばいいだけだから。俺の家、金持ちだから。』と、清々しく笑っていた。これはもう、海馬瀬戸そのもの。『金さえあれば、なんとでもなる。』と、心から思った出来事だった。


 そんなこんなで、S先輩は最も仲の良い先輩となった。くだらないことを沢山喋ったし、一緒に映画を作って文化祭で上映したりもした。


 S先輩と、最後に会ったのはもう10年以上前。大学1年の夏、ビーチにある別荘に招待されバスケ部で泊まりに行った時のこと。大学2年生ながら黒髪で、垢抜けていない様はS先輩らしかった。

 今ごろS先輩、何してるんだろうな。そろそろ会社を継いだりしてるのかな。それとも、別の仕事してたりして。 このご時世、SNSを使えば簡単にコンタクト取れるだろうが、それは敢えてしないでいようと決めている。大切な人との再会は、もっと劇的であるべきだ。運命のダイズスロー。その賽の目が揃う、その日まで。



 


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