ひとりの人間を、そのままの名前で リリースによせて
少し肌寒い秋の風が、しつこく残る夏の暑さとジワリとした湿気の間を縫うようにして通り抜ける。ようやく私に届いたそれは、人肌の熱に絆されてフワリと霧散する。『ひとりの人間を、そのままの名前で』という作品が完成したのは、そんな夜だった。
今作においても、REC、マスタリング等のサウンドエンジニアリングおよびアートワーク、MV制作は全て私ひとり。とかくDIYを好き好む私にとって、それは極めて楽しい娯楽だ。“出来ること”、あるいは“出来そうなこと”は何でもする。出来ないことも、とりあえずやってみる。人ひとりに出来ることは、やってみたら存外多いものだ。
無料のアプリだけでも、大抵のことは出来たりする。あとは経験とか、それに基づく知恵や発想でいくらでも制作物の幅は広がる。しかし、どうしても自分1人では出来ないことがある。児童手当の受給だ。
７月、次男が誕生した。私の子にしては勿体無い位に、燦然と瞳を輝かせたプリティベイビー。私は前述の手続きの為、最寄りの市役所へと出向いた。
市役所へは滅多と行かない。それでも、いつでも混雑しているのは何か不思議だ。ここにいる人々は一体何の為に訪れているのだろうか。きっと生活において必要な手続きが、自分の想像するよりもっと多くあるのだろう。なんてことを考えているうちに、順番はやってきた。
名前が呼ばれ、窓口に腰を下ろす。申請は、専用用紙1枚に必要事項を記載するだけの、極めて簡素なものだった。なにやら既に受給している(長男で申請済)場合は増額の手続きだけで済むらしい。息子の名前に生年月日、居住地に続柄。書き慣れた項目を機械的に埋めていく。しかし、ある項目で私の手が止まった。
『受取人の氏名と口座』の項目だ。むむむ、どの口座で受け取っているか、わかんねぇ〜、、、、。記帳を全くしないことにある種の美学を感じている私は、児童手当が一体どこに振り込まれているのか把握していなかった。そもそも、私の口座ではなく妻の口座だったかも分からない。これはもしかしたら、出直しかも知れない。せっかくここまで来て、それは嫌だなぁ。私は恐る恐る、目の前の若い女性職員に言った。
「すみません。どの口座か分からないんです。それに、口座番号の分かるもの、今日持ってきていなくて。」
キャッシュカードを持ち歩かないことに、美学を感じているんです。とは、流石に言わなかった。彼女は聞き飽きた質問と言わんばかりに流暢に答えた。
『口座が分からない場合は、受取人様のお名前だけで結構ですよ。そこから割り出しますので。』
なるほど。ヘェ〜。それは助かる。
「そうなんですね。あ、でも受取人が私か妻か、どっちだったかなぁと思って。」
これにもまた、すかさず彼女は答えてくださった。自らの重要事項をろくに把握できていない惨めで愚鈍な私に。
『基本は、年収の高い方ですので、旦那様がうけ、、』
「あ！じゃ、私ですね。」
私は“年収”という単語に過剰に反応した。彼女の言葉を遮ってまで、年収が高いことをその空間へと解き放っていた。いや年収が高いって言ってもそれはあくまで平均年収で言えばの話でね。一応ほら、公立大卒だし？それなりに大きい会社に勤めてますし。そりゃそれなりに業務が大変な分は給料の方も、、、
『すみません。お調べしたのですが、、、。奥様が受取人様ですね。』
・・・・・・・・・んまっ？？？
私じゃなく、つっ・・・妻？？今まさに年収が高いことを高らかに、食い気味に宣言したばかりなのですが？普通に激イタいホラ吹き野郎やん。え、マジ？？？
「あ。そうか、申請したとき奥さんが看護師で夜勤とか沢山入ってて、、」
「で、それで丁度私が仕事辞めたときで、、、」
パニックに陥った私は自尊心を守ろうとこのようなことを呟いていた。それはもう、めちゃくちゃ早口で。俯く女性に向けて。2人を包む淀んだ空気に向けて。もう何一つ、取り戻せるものなんて無いのに。『知らんがな』という心の声が、これ以上無いほどクリアに聞こえた。
もしかしたら、彼女は最初から分かっていたのかも知れない。受取人は妻である、と。その上で「年収が高い方」というワードで私を翻弄したのかも知れない。だとしたら、私はこの峰不二子的マインドを宿した彼女に、まんまとやられた訳だ。
しかしあるいは、彼女は嘘をつくこともできた。ただ、私の尊厳を守る為だけに。たとえその申請が、受取人違いで差し戻しになろうとも。それでも私は、呼んで欲しかったのだ。『私』という、ひとりの人間を、そのままの名前で。
一生懸命作りました。沢山の方に聞いていただきたいです。
1.End roll
2.oninoinumani ( ZKK remix)
3.TENVINNOUE
4.何者かになれた日々を
5.一度回る溝に針を落とせば
6.ひとりの人間を、そのままの名前で
2020.09.19 release on Bandcamp
https://furutomi.bandcamp.com/