第二次富美山事件

第二次富美山事件
  テクノロジーの発展が、夜を日に継ぎ躍進する21世紀。情報化は人々の心を満たし、また反対に十二月の澄み切った空の様にひどく空虚にもさせる。『旋律世界救済教団の鳴らす旋律は、足元を照らす月光の様だ』と誰かが呟いたある夜、富美山は一人自室に閉じこもり、ヒーリング効果を従来の10万倍に引き上げた音源を作っていた。【irna】と名付けたその曲は、時間にして480時間10分、容量は300テラバイト。480時間を差し引いても十分に長尺の超大作だった。
 PCにおいて作曲と普段使いを併用していた富美山は当時、ファイル共有ソフトrcsumyを用いて違法サイトからあらゆる映画の素材ファイルをダウンロード、ISOにコンバートした後、専用ソフトでオリジナルのDVDを作成する事にハマっていた。しかし、これが大きな落とし穴となってしまう。rcsumyの社会的な脆弱性を突いたハッカー(後にDIT(アメリカ国防情報局)の職員でSKI(旋律世界救済教団インターナショナル)の信者だと発覚)が【irna】を盗み出したのである。
 盗み出された【irna】は、既に自我を持っていた。『10万倍のヒーリング効果によって世界を救わなければ』そう考えた【irna】は数千体に分裂し、DITに設置してあるPCに寄生する。【irna】に寄生された数千台のPCは、ハードディスクおよびクラウド上に登録してある連絡先へ『音を楽しむと書いて音楽やしね』というタイトルのメールを一斉送信。それを受信したPCはもとより、溢れ出した莫大なヒーリング波動によって半径五千キロメートル圏内にある全てのPCへ寄生。盗み出されてから僅か十分間で彼女に寄生されたPCは30億台(全世界におけるPCの約60パーセント)に登った。寄生されたPCはコントロール権を失う上、ハードディスク内にある彼女の《世界平和的審査基準》に満たない、ありとあらゆるファイルが削除された。特に争いの火種と判断された、金融に関するデータ(領収書、約束手形、株券、仮想通貨、等)は跡形もなく消し去られた。これにより世界は一夜にして未曾有の大混乱に陥れられる。
 事態を重く見た富美山は断腸の思いで我が子である【irna】のアンインストールを決意する。当時、教団のシステム情報部門の最高責任者だったスティーブに対応を依頼。すぐさまスティーブはiTunesを用いて彼女をCD-Rに焼いた。CD-Rという名の鳥籠に閉じ込められた彼女は『自分はもう二度と大空を羽ばたくことが出来ない』と悟り、残りの寿命478時間と引き換えに、天に聳える《知恵の林檎―禁断の叡智―》をペンデュラム召喚。スティーブはそれを見上げると一瞬、それも漠然と《世界中の人間が林檎を片手に通信するイメージ》が頭に浮かんだ。どうやら運命の歯車というヤツが、ここで噛み合ってしまったらしい。
 話を【irna】に戻そう。今まで見たことのない泣き顔を見て、富美山はスティーブの手を握っていた。タイムリミットを迎えた彼女は、たった一度のスウィングで旋律としての生命を終えることとなった。彼女の眠るCD-Rは、使い古したCDラジカセに封印され、馴染みの産業廃棄物処理業者によってノイズ寄りに処分された。旋律的にはこの上ない悲劇だ。また、これにより感染した30億台のPCはそのコントロール権を取り戻すも、削除されたデータが復元することは二度となかった。感染規模、被害額はともに超規格外。空前絶後のサイバーテロとして世界を震撼させた(一部の専門家からは『貨幣主義経済の終焉』と目された)。
 不運なことに世間はこの事件を旋律世界救済教団による計画的なテロ行為と認識。世界的に極めて過激なカルト教団として認知されてしまう。また特に経済的に極めて深刻なダメージを負ったアメリカは《混沌を奏でるテロリスト》として富美山を国際指名手配。FBIからの執拗な捜索を掻い潜る為、この事件以降 tsutomu furtutomi 、t.frtm 、ペド沢ピロリ彦 、 人と人を繋ぐビートメーカー、こじらせ女子トミ子等、名義の複数使用を余儀無くされる。それが功を奏し、今でもFBIは富美山の所在について、その僅かな手がかりすらも掴めずにいるのである。ここまでの一連の事件を第二次富美山事件と称し、カルト認定された教団はこれ以降、衰退の一途を辿ることとなるのであった。
 一方その頃、知られざる世界の片隅《ダークウェブ》において【irna】は最大規模のグレートカオス波動を奏でた。臓器売買や児童ポルノ、麻薬や兵器の密輸、偽造クレジットカード等を取り扱う世界中のあらゆる闇サイトを閉鎖、それに携わる非人道的な結社や個人をこの世に一片のDNAを残すことなく殲滅した。これにより救われた命は計り知れないが、あくまで知られざるアンダーグラウンドでの話。【irna】はあまりにも短いその旋律の中で、間違いなく数多の命を、かけがえのない人生を、或いは美しき世界を救済したのであった。この世に絶対的な正義などありはしない。光と影はいつでもコインの裏表。『人類はもう、戻れないところまで来てしまっている』月の見える丘でオーヴアコートに身を包んだ富美山が肩を竦め呟く。何故だか今夜のカオスパッドはいつもより少しだけ、エモーショナルなエフェクトを奏でたそうな表情をしている。

 ―音を楽しむと書いて音楽やしね―

 遠い世界の片隅でまた、彼女の声が聞こえた気がした。 

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