第一次富美山事件

第一次富美山事件
 時は国家総動員法をはじめとする諸法令が制定された第二次世界大戦末期。日本ファシズムおどりゃクソ森、鬼畜米兵洗脳愛国者、狂気の沙汰が跋扈した。
 『我が国に愚かにも歯向かう、厚顔無恥な欧米諸国の畜生供を一匹残らず駆逐せん』とする当時の政府は、反戦争を掲げる旋律世界救済教団を極めて危険かつ過激な思想犯として二四時間体制で監視した。教祖である富美山のみならず、教団そのものの消滅を目的に政府は特別高等警察(特高)をもって画策。しかしSoundCloudやBandcampに音源をアップロードすることの犯罪性、またそれがインストゥメンタルであり、国体を批判する内容であると裁判所に対して証明することが出来ずにいた。『逮捕できるか、できないか、では無い。逮捕するのだ』政府は特高に対し、来る日も来る日も尋常ならざる圧力をかけた。パワーハラスメントという概念はここから顕在化したと言ってもいいだろう。
 ある日、治安維持法の拡大解釈として目的遂行罪が制定。結社を支援するあらゆる行為が治安維持法の対象となり、特高の恣意的な運用を可能としたのであった。つまり、教団の存在自体が罪に問われてしまうこととなる。それを理由に特高は一万人規模の武装部隊をもって教団本部へ強行突入。当時、用心棒として様々な外敵から教団を守護した身長190を超える巨漢『KZ』が大立ち回りを見せるも、わずか数日で制圧。政府によって半ば強引に買い上げられ、国有地と化した教団本部は、所有する膨大な音源をそのままに、立ち入り禁止区域とされてしまう。そこに追い討ちをかけるように、数千発のミサイルが教団へと撃ち込まれる。積水ハウスによって建てられたSRC造(鉄筋コンクリート造)の教団は跡形もなく崩れ去ってしまった。同時に教祖である富美山は治安維持法違反および不敬罪によって起訴、無期懲役の判決を下される。富美山が投獄された、まさにその夜、焼け野原と化した教団跡地に、鮮やかな山吹色のクロッカスが咲き乱れた。花言葉は《私を信じて》たとえ形を失っても、消滅えることのない《想い》が其処には在った。
 先の治安維持法によって七万人以上が検挙され、蟹工船で知られる小林多喜二をはじめ400人以上が取り調べにおける拷問などで獄死。富美山においては、日の出から日没までWANIMA、sumica、SPYAIR が息つく暇も無く爆音で流れるDJブースに監禁された。無論、エレクトロニカやアンビエントに触れることなど不可能。夜明けと共に鳴り響く『君らしく心踊る方』という轟音が特に富美山の精神的平穏を崩壊させた。以降、そのフレーズを耳にする度に激しく嘔吐する疾患を抱えることとなる。
 また、件のDJブースには週に一回のペースで5~60代の極めて保守的な管理職が訪れた。管理職は自らの経験に基づいた無根拠で主観にまみれ、なんの独自性もない薄っぺらな仕事論や教育論のようなもの、あるいは『俺の知り合いはチンピラみたいなのばっかりだからね』とか『俺が若い頃は飲酒運転なんて平気だった』といった、いい歳してアウトローに憧れた痛い管理職にありがちなダルい武勇伝を富美山に語った。彼等に対する欠片も無い興味関心、果てしのない価値観の違いに、相槌を打つたび泡を吹き気絶した。
 堪え難い嘔吐、重度の目眩、断続的な気絶の中でも富美山は脳内で先のアーティストのビートのみを抽出、コピーアンドペーストを何度も繰り返し、ブレイクコアとブレイクビートを中心に作曲を続ける。ゾーンに入った富美山は、例え屈強な獄卒五人がかりのオールコートディフェンスでも簡単には止められない。『ファールしてでも奴をフィールドから追い出せ』の祈りにも似た叫びは、皮肉にもsome like soulのリフで掻き消された。そうして生み出した攻撃的な旋律はやがて、脳内から想念波動として放出。その《波動》はやがて一陣の《風》となり、《風》はまた、人々の否定的な想念波動を大らかに受け入れた《MP3》となって、天空の核へとアップロードされていった。この奇跡は近い将来、奇しくも敵国アメリカはデトロイトで『プリズンブレイク』という言葉のインスピレーションとなるが、それはまた別のお話。
 終戦後、GHQの指示により治安維持法は廃止。無罪放免となった富美山は同法の被害者として国家賠償責任請求権を獲得。政府から現金100億円を受託する。富美山に宿っていた、政府に対する形容しがたい程に茫漠な憎悪の業火は、アタッシュケースにこれでもかと言わんばかりに詰めこまれた現ナマを目にした瞬間、泡沫の如く消え失せた。止めどなく溢れ出る涎をそのままに、早速トヨペットへ。現金一括払いにて漆黒のヴォクシー煌2を購入。買ったナビきっかけに何処へでも行き、色々な場所を知る。ここまでを第一次富美山事件と称し、結果として教団が飛躍する大きなきっかけとなった。
 悲しい出来事の先には、きっと幸せな明日が待っている。たとえ今がどんなに辛くても、その痛みを共に背負う《仲間》がいる。絶対に叶えたい《夢》がある。なぁ君は、どう生きたいんだ?悩んでる時間があるなら、歩き出そうぜ。立ち止まってるそこのアンタ、道、空けてもらっていーですか?当たり前に過ぎていく日常の中で、見失いそうになる《小さな幸せ》を拾い集めながら《希望》を胸に強く、ただ強く、生きていこうぜ。

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